心理学、精神医学に甚大な影響を与えたフロイトをご紹介
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)
フロイトとは、無意識を理論化し「精神分析」を創始した人物です。彼の理論は、心理学・精神医学のみならず、20世紀の文化と思想に大きな影響を与えました。
- 1856年-1939年
- ユダヤ人、オーストラリア出身の精神科医
- 無意識を理論化
- 神経症研究を経て自由連想法を編み出す
- 精神分析を確立
- 晩年はナチスに追われロンドンに亡命
- 心理学、精神医学に甚大な影響を残す
主な研究:無意識研究/神経症(ヒステリー)研究/心的外傷研究/自由連想法
精神分析の詳細はこちら⇒フロイトの精神分析とカウンセリング
フロイトの生涯
1856年:フライベルクで商人ヤーコプ・フロイトの息子として誕生
1859年:フロイトが3歳のときにウィーンへ転居
1873年:ウィーン大学に入学:脊髄神経細胞、脳性麻痺や失語症を研究
1881年:ウィーン大学卒業(25歳)
1882年:後の妻マルタ・ベルナイスと出逢う
1884年~1886年:コカイン研究に没頭、コカイン療法の発見者になるが、コカインの中毒性が報告され、不当治療の唱導者として批判される
1885年:パリへ行き、神経学者ジャン=マルタン・シャルコーから催眠によるヒステリー治療を学ぶ
1886年:ウィーンへ戻り、ヒステリー治療の開業医となる。ヒステリー治療から自由連想法を編み出し、後に精神分析と名づける
1886年:マルタ・ベルナイスと結婚(30歳)
1887年:長女マチルデ誕生
1889年:長男マルティン誕生
1891年:次男オリヴァー誕生
1892年:三男エルンスト誕生
1893年:次女ゾフィー誕生
1895年:三女アンナ誕生
1896年:父ヤーコプが82歳で他界。父の死により不安症が悪化し、自身の自己分析・夢分析をはじめる
1907年:カール・グスタフ・ユングに出会う
1908年:「ウィーン精神分析協会」を設立
1909年:クラーク大学・大学長から博士号を授与される
1910年:「国際精神分析学会」を創立、ユングを初代会長に就任
1913年:意見の相違からユングと決裂
1918年:白板症を発症し手術を繰り返す
1923年:『自我とエス』を発表
1930年:母アマーリアが95歳で他界
1931年:ウィーン医師協会の名誉会員になる
1938年:ナチス・ドイツの侵攻により、ロンドンに亡命
1939年:癌を患い、83歳でその生涯を終える
フロイトの名言・格言
「言葉で諦める者は、現実でも諦めるものだ」
「忘れるのは、忘れたいからである」
「あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる。」
「恋に落ちているときほど、苦痛に対して無防備であることはない」
「幸福になる方法は、自分で実験してみなければ分からない」
「生きる意味を考え始めると、気がおかしくなってしまう。生きる意味など存在しないのだから」
「秘密を守り通せる人間はいない。口を堅く閉じれば、今度は指先がしゃべり出す。全身から真実がにじみ出るのだ。」
フロイトの主な著作
このほかにも数多くの著書を発表している。
『ヒステリー研究』1895年
『夢判断』1899年
『精神分析入門』1917年
『リビドー理論』1923年
『自我とエス』1923年
『エディプス・コンプレックスの崩壊』1924年
フロイトを継いだ人物・離れた人物
アルフレッド・アドラー:アドラー心理学
カール・グスタフ・ユング:分析心理学
フェレンツィ・シャーンドル:心的外傷研究
オットー・ランク:精神分析独自理論
ヴィルヘルム・ライヒ:オルゴン理論
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